山 旅
会報 No.171
好山好山旅会
H.20.5
好山好山旅会
H.20.5
平成20年6月例会山行計画
第一例会 6月7日(土)~8日(日) 奥秩父 十文字峠 担当者 清水(ふ)
第二例会 6月14日(土) 大菩薩嶺 滝子山 担当者 吉田(博)
第三例会 6月21日(土)~22日(日) 東北の山 焼石岳・神室山 担当者 八木
《 渋川 小野子山~十二ヶ岳 》
平成20 年4月5日(土)晴れ
参加者L.高柳、小野、中村、清水(裕)、吉田(博)、土方計6名
- 土方 記-
本日の天気は見事に快晴。参加予定であった宇野さんが、ちょっとしたトラブルのため参加できないという残念な出来事があったが、とりあえず全員が渋川駅に集合 した。
2 台のタクシーに分乗して登山口まで移動。
途中、清水さんのギター談義に耳を傾けていると30 分ほどで赤芝の登山口に到着した。
本日のコースは十二ヶ岳 より直接小野上温泉へ下るコースであったが、このコースが落石のため危険との情 報から十二ヶ岳手前分岐より沢沿いに下るコースに変更し出発。
登山口より姉ツツジと呼ばれる稜線までは、たいした登りもなく新緑の中を歩く とても気持ちの良いコースで、自然とおしゃべりに花が咲いた。
話が白熱してくる と“あれ、これってセクハラ”と思われる冗談も飛び出したが相手は数多くの困難に打ち勝ってきたオバタリアン“失礼”山のプロ集団であった為、哀れなオジンたちのつまらない悪あがきとして簡単に処理されてしまった。
楽しいおしゃべりをし ているうちに11 時10 分ごろ小野子山に到着した。
小野子山は雪に覆われた谷川岳が望める明るい山頂であった。
小野子山から中ノ 岳までは200m程の急坂を下らなくてはならず北側斜面である為、雪も多く残っており高柳リーダーの指示により全員がストックを装備し慎重に下った。
鞍部で一息 ついた後、今度は急斜面を登り返すとやっと中ノ岳に到着しここで昼食。
中ノ岳から十二ガ岳までは、同じく200m ほどの下りと登りがある。
分岐からの登りには男坂と女坂の2つのルートがあり、男坂のルートを登る事にした。
このル ートは手を使わなくては登れないほど急坂で、トレースも不明瞭であった為、途中で間違ったルートに足を踏み入れてしまった。
すぐに間違いに気づき引き返したが 足場が悪く正規のルートに出るまでかなり苦労、というより大騒ぎをしてしまった。
十二ガ岳山頂は、それまでの苦労を吹き飛ばすほどの大展望で谷川岳、上州武尊 山、榛名山、浅間山など360 度の眺めを楽しんだ。
帰り道は、女坂のルートで分岐 まで戻りそこから小野上温泉まで花が咲き乱れる里山の道をのんびりと下り、全員 無事に小野上温泉駅に到着した。
☆コースタイム
渋川駅(9:02~9:15)登山口入口下車(9:45~9:50)登山口(10:15~10:20)小野 子山(11:10~11:20)中ノ岳(12:20~12:45)十二ヶ岳(13:45~14:00)小野上温 泉分岐(14:15)林道=入道坊主(14:50~15:05)小野上温泉駅(16:20)
《 奥多摩 高岩山~鍋割山 》
平成20年4月13日(日) 曇り
参加者 原田(L)高橋 尾辻 八木 片倉 佐藤(忠) 清水(ふ) 梅沢 白井 竹中 池田 計11名 -原田 記―
養沢神社がサルギ尾根の入り口となる。
同じバスで降りた団体の前に出るべく、 神社右手の植林帯にあたふたと入る。
急登は5分位で、上るにつれ雑木となり、岩 尾根っぽくなると、最初のイワウチワの群生地809mのピーク。
さらにその先が 次の群生地高岩山。
見ごろである。曇天の中、懸命に光を集めて薄いピンクの花を 輝かせてくれている。
この2箇所を過ぎると、パタリとイワウチワは見られない。
立派な屋根付の展望台でお昼。
いくらもしないうちに、団体が到着。
先に陣取っていた無線の男性の大きな一人しゃべり声に団体のガヤガヤが絡む。
早々に私達は腰を上げる。昔石灰岩を採った芥場峠を過ぎ、鍋割山方向に曲がると沢山のカタクリ の蕾がひっそりと開花を待っている。
鍋割山から進路は北へ。
ここからは、誰にも 会わない我々だけのルート、あいにく展望ゼロの下降路だが、花々との出会いもあ り、退屈はしない。
鳩ノ巣渓谷は、サクラと芽吹きの木々の色の競演で、日本の春の美しさに一同に思わず笑顔が広がる。
天気予報の悪い中、今回は会の予報官の「曇りでしょう」のお言葉で、決行。
参加の方を雨の中歩かせることにならず、ホッとした。
行きたい山に行けるチャン スは、逃すとそうは巡って来ない。とくに花目当ての場合は。
*花ベスト3
1 イワウチワ (見ごろ、今回のテーマ)
2 マキノスミレ(奥多摩には多いとのこと)
3 シュンラン (一株、観察力の賜物)
他に、ミヤマシキミ、センボンヤリ、アセビ、ミツバツツジ、ヒナスミレなど
☆ コースタイム
養沢神社(8:50)650m 付近(9:30~9:35)高岩山(10:05 ~10:15)展望台(11:10~11:30)鍋割山分岐(11:45) 鍋割山(12:05~12:15)大楢峠(12:59~13:05)759m (13:38~13:45)鳩ノ巣(14:40) 実働 5時間
☆ 費用
電車JR 立川―武蔵五日市 290円 鳩ノ巣―立川 540円 バス 武蔵五日市―大岳鍾乳洞入り口 470円
《 奥多摩 御前山 》
平成20年4月19日(土) 曇り
参加者 八木(L) 吉田(博)白井 原田 計 4名
-吉田(博)記-
週末の天気予報は悪く、奥多摩行きの電車もガランとして、鴨沢西行きのバスに 立つ人はいなかった。
惣岳バス停でおり、ガードレールの切れたところから階段を下りていくとむかし道で、今朝になって車で行く事にしたリーダーが待っていた。
参加者一人が電車が遅れてバスに乗り遅れたため後から追いかけるとか。
スパッツをつけ、急登にそなえて上着をぬぎ、渡渉のためにストックの調節をする。
5分も歩かぬうちにシダクラ橋に到着。
渡ろうとしたら車の音。パトロールの人かと思いよけていると遅れていた一人が タクシーで追いついた。
今日はバリエーションルートでもあるし、早いうちに合流 できてよかった。
グラグラする橋を渡り祠の前を沢に下りていく。
今朝方まで降っ ていた割に流れは速いが濁っていない。
すべらない石をみつけてくれたので難なく 渡ることができ一安心。
山道は始め緩くそして木につかまりながらの急登になる。
芽吹き始めたばかりな のでよく見渡せるが、夏だと藪こぎの箇所もあるとか。
大きな岩を越すと左からの 道を合わせ地図上の810m 地点。
予報に反し青空も覗いている。昨夜までの雨で登 山道が心配だったが、地面は乾いていて心配するほどのことはなかった。
ここからも緩くそして急登のあと大岩を越えて次のピークに立つが、この急斜面 にダンコウバイやハシリドコロ、ヨゴレネコノメそして開いたばかりのカタクリの 薄紫が鮮やかだ。
左に栃寄からの道を合わせ「アセビの広場」の標識のある小平地に出る。
木々の 間から見える白い山は雲取か?
整備されたシダクラの道を惣岳山へ向かい、御前山へはロープで仕切られた道を行く。
カタクリの時期には立錐の余地もないほどの人、人らしいが、今日は十数人。
ベンチも空いていてここで昼食とする。
頂上にカタクリは1輪も咲いていなかった。
惣岳山まで戻り広々として気持ちのいい防火帯を小河内峠に向かう。
途中、去年 事故があったために通行止めで巻いたところがあるが、よく見ているHP の人が定点観測で行く岩場の露岩、ソーヤの丸デッコとはそこのことか?
確認できなかった。 小河内峠に着いた頃から風が冷たく雲行きも怪しくなってきた。
ここからも下山できるが、計画書通り水窪山を経るためゆるく登っていく。
三頭山方向への分岐がアケボノスミレ群生の斜面になっておりしばし写真タイム。
清八新道は広い防火帯と自然林で気持ちがいいし、なんと言っても今日は人が少 ない。
御前山の頂上付近だけであとは誠に静かだ。
ネットの情報で、計画より近くに奥多摩湖畔道路に下りられる道があるというので分岐を右に下りる。
ジグザグの急斜面でニリンソウが咲いていたりする。
湖畔は満開の桜や、木々が芽吹き始めたばかりで今まさに春爛漫。お天気も快復 してきて陽が差す中ぶらぶらと帰路に着いた。
☆ コースタイム
奥多摩むかし道(9:00) 810m 点(10:10~10:20) アセビの広場(11:25~11:35) 惣岳山(11:55) 御前山(12:15~12:40) 惣岳山(12:50) 小河内峠(13:30~13:40)水根山(13:50~13:55) 奥多摩湖畔道路出合(14:35) 奥多摩湖(15:15)
※ お知らせ
1) 先にお配りした平成20年度会員名簿に修正ミスがありました。 小野若枝さんの緊急連絡先は自宅の電話番号と同じです。
2) 4月例会の伊吹山・横山岳の報告書は次号になります。
3) 受贈会報「木鶏」2008年5月号
【Wakurouの山名考・続編】
「ヤマ」の「ヤ」は沢山のという意味かもしれません。とすると「ヤ・モ」が「ヤ マ」と訛ったとも考えられます。 山=モ(森)、ということになると、いろんなイメージが沸いてきます。 75歳にしてエベレストに再び挑む三浦氏を何と表現していいかわからないが、猛者 というのが適切でしょうか。 猛者(モサ)を広辞苑で引くと「勇猛で荒々しい人、体力・技術に優れた人」とあ ります。何だか相当に体力があり、荒々しい所作が似合うというと「山男」のイメ ージですよね。 モ(森)に暮らす人を渡来人が「猛者」と呼んだのでしょうか。もともと縄文人が 山を「モ」と呼んでいたのでしょうか。 で、気になってアイヌ語について検索すると「モ」とは「静かな」という意味で使 われています。紋別(モ・ベツ)は「静かな川」ということらしい。森は深閑とし ているので静かなという形容詞に使ったのでしょうか。 ところで、「茂」も「モ」と読みますね。これも、モ(森=山)と関係した言葉で しょう。また、「母」の「モ」も気になるところです。(母屋と書いて「オモヤ」、 昔の貴族は母を「オモウサマ」と呼んでいました。朝鮮語で母を「オムニ」。) -5- 「母なる大地」という言い方をよくします。しかし、大地が平原では眺め崇める存 在とは言えませんね。ここでいう「母なる大地」とは神々しい山々のことを指すの ではないでしょうか。 モンゴルなどの遊牧民は草原に水をもたらす山々を崇めていると聞きます。「モ」 が「森=山」であり、「母」のような存在と映っているのかもしれません。 さて、このように解釈すると縄文人が山を「モ(森)」と呼んだのではないかとい う推測は間違っていることになります。「モ」=「山」も渡来人が付けた名かも知 れません。浅学の私ではこれが限界です。
第一例会 6月7日(土)~8日(日) 奥秩父 十文字峠 担当者 清水(ふ)
第二例会 6月14日(土) 大菩薩嶺 滝子山 担当者 吉田(博)
第三例会 6月21日(土)~22日(日) 東北の山 焼石岳・神室山 担当者 八木
《 渋川 小野子山~十二ヶ岳 》
平成20 年4月5日(土)晴れ
参加者L.高柳、小野、中村、清水(裕)、吉田(博)、土方計6名
- 土方 記-
本日の天気は見事に快晴。参加予定であった宇野さんが、ちょっとしたトラブルのため参加できないという残念な出来事があったが、とりあえず全員が渋川駅に集合 した。
2 台のタクシーに分乗して登山口まで移動。
途中、清水さんのギター談義に耳を傾けていると30 分ほどで赤芝の登山口に到着した。
本日のコースは十二ヶ岳 より直接小野上温泉へ下るコースであったが、このコースが落石のため危険との情 報から十二ヶ岳手前分岐より沢沿いに下るコースに変更し出発。
登山口より姉ツツジと呼ばれる稜線までは、たいした登りもなく新緑の中を歩く とても気持ちの良いコースで、自然とおしゃべりに花が咲いた。
話が白熱してくる と“あれ、これってセクハラ”と思われる冗談も飛び出したが相手は数多くの困難に打ち勝ってきたオバタリアン“失礼”山のプロ集団であった為、哀れなオジンたちのつまらない悪あがきとして簡単に処理されてしまった。
楽しいおしゃべりをし ているうちに11 時10 分ごろ小野子山に到着した。
小野子山は雪に覆われた谷川岳が望める明るい山頂であった。
小野子山から中ノ 岳までは200m程の急坂を下らなくてはならず北側斜面である為、雪も多く残っており高柳リーダーの指示により全員がストックを装備し慎重に下った。
鞍部で一息 ついた後、今度は急斜面を登り返すとやっと中ノ岳に到着しここで昼食。
中ノ岳から十二ガ岳までは、同じく200m ほどの下りと登りがある。
分岐からの登りには男坂と女坂の2つのルートがあり、男坂のルートを登る事にした。
このル ートは手を使わなくては登れないほど急坂で、トレースも不明瞭であった為、途中で間違ったルートに足を踏み入れてしまった。
すぐに間違いに気づき引き返したが 足場が悪く正規のルートに出るまでかなり苦労、というより大騒ぎをしてしまった。
十二ガ岳山頂は、それまでの苦労を吹き飛ばすほどの大展望で谷川岳、上州武尊 山、榛名山、浅間山など360 度の眺めを楽しんだ。
帰り道は、女坂のルートで分岐 まで戻りそこから小野上温泉まで花が咲き乱れる里山の道をのんびりと下り、全員 無事に小野上温泉駅に到着した。
☆コースタイム
渋川駅(9:02~9:15)登山口入口下車(9:45~9:50)登山口(10:15~10:20)小野 子山(11:10~11:20)中ノ岳(12:20~12:45)十二ヶ岳(13:45~14:00)小野上温 泉分岐(14:15)林道=入道坊主(14:50~15:05)小野上温泉駅(16:20)
《 奥多摩 高岩山~鍋割山 》
平成20年4月13日(日) 曇り
参加者 原田(L)高橋 尾辻 八木 片倉 佐藤(忠) 清水(ふ) 梅沢 白井 竹中 池田 計11名 -原田 記―
養沢神社がサルギ尾根の入り口となる。
同じバスで降りた団体の前に出るべく、 神社右手の植林帯にあたふたと入る。
急登は5分位で、上るにつれ雑木となり、岩 尾根っぽくなると、最初のイワウチワの群生地809mのピーク。
さらにその先が 次の群生地高岩山。
見ごろである。曇天の中、懸命に光を集めて薄いピンクの花を 輝かせてくれている。
この2箇所を過ぎると、パタリとイワウチワは見られない。
立派な屋根付の展望台でお昼。
いくらもしないうちに、団体が到着。
先に陣取っていた無線の男性の大きな一人しゃべり声に団体のガヤガヤが絡む。
早々に私達は腰を上げる。昔石灰岩を採った芥場峠を過ぎ、鍋割山方向に曲がると沢山のカタクリ の蕾がひっそりと開花を待っている。
鍋割山から進路は北へ。
ここからは、誰にも 会わない我々だけのルート、あいにく展望ゼロの下降路だが、花々との出会いもあ り、退屈はしない。
鳩ノ巣渓谷は、サクラと芽吹きの木々の色の競演で、日本の春の美しさに一同に思わず笑顔が広がる。
天気予報の悪い中、今回は会の予報官の「曇りでしょう」のお言葉で、決行。
参加の方を雨の中歩かせることにならず、ホッとした。
行きたい山に行けるチャン スは、逃すとそうは巡って来ない。とくに花目当ての場合は。
*花ベスト3
1 イワウチワ (見ごろ、今回のテーマ)
2 マキノスミレ(奥多摩には多いとのこと)
3 シュンラン (一株、観察力の賜物)
他に、ミヤマシキミ、センボンヤリ、アセビ、ミツバツツジ、ヒナスミレなど
☆ コースタイム
養沢神社(8:50)650m 付近(9:30~9:35)高岩山(10:05 ~10:15)展望台(11:10~11:30)鍋割山分岐(11:45) 鍋割山(12:05~12:15)大楢峠(12:59~13:05)759m (13:38~13:45)鳩ノ巣(14:40) 実働 5時間
☆ 費用
電車JR 立川―武蔵五日市 290円 鳩ノ巣―立川 540円 バス 武蔵五日市―大岳鍾乳洞入り口 470円
《 奥多摩 御前山 》
平成20年4月19日(土) 曇り
参加者 八木(L) 吉田(博)白井 原田 計 4名
-吉田(博)記-
週末の天気予報は悪く、奥多摩行きの電車もガランとして、鴨沢西行きのバスに 立つ人はいなかった。
惣岳バス停でおり、ガードレールの切れたところから階段を下りていくとむかし道で、今朝になって車で行く事にしたリーダーが待っていた。
参加者一人が電車が遅れてバスに乗り遅れたため後から追いかけるとか。
スパッツをつけ、急登にそなえて上着をぬぎ、渡渉のためにストックの調節をする。
5分も歩かぬうちにシダクラ橋に到着。
渡ろうとしたら車の音。パトロールの人かと思いよけていると遅れていた一人が タクシーで追いついた。
今日はバリエーションルートでもあるし、早いうちに合流 できてよかった。
グラグラする橋を渡り祠の前を沢に下りていく。
今朝方まで降っ ていた割に流れは速いが濁っていない。
すべらない石をみつけてくれたので難なく 渡ることができ一安心。
山道は始め緩くそして木につかまりながらの急登になる。
芽吹き始めたばかりな のでよく見渡せるが、夏だと藪こぎの箇所もあるとか。
大きな岩を越すと左からの 道を合わせ地図上の810m 地点。
予報に反し青空も覗いている。昨夜までの雨で登 山道が心配だったが、地面は乾いていて心配するほどのことはなかった。
ここからも緩くそして急登のあと大岩を越えて次のピークに立つが、この急斜面 にダンコウバイやハシリドコロ、ヨゴレネコノメそして開いたばかりのカタクリの 薄紫が鮮やかだ。
左に栃寄からの道を合わせ「アセビの広場」の標識のある小平地に出る。
木々の 間から見える白い山は雲取か?
整備されたシダクラの道を惣岳山へ向かい、御前山へはロープで仕切られた道を行く。
カタクリの時期には立錐の余地もないほどの人、人らしいが、今日は十数人。
ベンチも空いていてここで昼食とする。
頂上にカタクリは1輪も咲いていなかった。
惣岳山まで戻り広々として気持ちのいい防火帯を小河内峠に向かう。
途中、去年 事故があったために通行止めで巻いたところがあるが、よく見ているHP の人が定点観測で行く岩場の露岩、ソーヤの丸デッコとはそこのことか?
確認できなかった。 小河内峠に着いた頃から風が冷たく雲行きも怪しくなってきた。
ここからも下山できるが、計画書通り水窪山を経るためゆるく登っていく。
三頭山方向への分岐がアケボノスミレ群生の斜面になっておりしばし写真タイム。
清八新道は広い防火帯と自然林で気持ちがいいし、なんと言っても今日は人が少 ない。
御前山の頂上付近だけであとは誠に静かだ。
ネットの情報で、計画より近くに奥多摩湖畔道路に下りられる道があるというので分岐を右に下りる。
ジグザグの急斜面でニリンソウが咲いていたりする。
湖畔は満開の桜や、木々が芽吹き始めたばかりで今まさに春爛漫。お天気も快復 してきて陽が差す中ぶらぶらと帰路に着いた。
☆ コースタイム
奥多摩むかし道(9:00) 810m 点(10:10~10:20) アセビの広場(11:25~11:35) 惣岳山(11:55) 御前山(12:15~12:40) 惣岳山(12:50) 小河内峠(13:30~13:40)水根山(13:50~13:55) 奥多摩湖畔道路出合(14:35) 奥多摩湖(15:15)
※ お知らせ
1) 先にお配りした平成20年度会員名簿に修正ミスがありました。 小野若枝さんの緊急連絡先は自宅の電話番号と同じです。
2) 4月例会の伊吹山・横山岳の報告書は次号になります。
3) 受贈会報「木鶏」2008年5月号
【Wakurouの山名考・続編】
「ヤマ」の「ヤ」は沢山のという意味かもしれません。とすると「ヤ・モ」が「ヤ マ」と訛ったとも考えられます。 山=モ(森)、ということになると、いろんなイメージが沸いてきます。 75歳にしてエベレストに再び挑む三浦氏を何と表現していいかわからないが、猛者 というのが適切でしょうか。 猛者(モサ)を広辞苑で引くと「勇猛で荒々しい人、体力・技術に優れた人」とあ ります。何だか相当に体力があり、荒々しい所作が似合うというと「山男」のイメ ージですよね。 モ(森)に暮らす人を渡来人が「猛者」と呼んだのでしょうか。もともと縄文人が 山を「モ」と呼んでいたのでしょうか。 で、気になってアイヌ語について検索すると「モ」とは「静かな」という意味で使 われています。紋別(モ・ベツ)は「静かな川」ということらしい。森は深閑とし ているので静かなという形容詞に使ったのでしょうか。 ところで、「茂」も「モ」と読みますね。これも、モ(森=山)と関係した言葉で しょう。また、「母」の「モ」も気になるところです。(母屋と書いて「オモヤ」、 昔の貴族は母を「オモウサマ」と呼んでいました。朝鮮語で母を「オムニ」。) -5- 「母なる大地」という言い方をよくします。しかし、大地が平原では眺め崇める存 在とは言えませんね。ここでいう「母なる大地」とは神々しい山々のことを指すの ではないでしょうか。 モンゴルなどの遊牧民は草原に水をもたらす山々を崇めていると聞きます。「モ」 が「森=山」であり、「母」のような存在と映っているのかもしれません。 さて、このように解釈すると縄文人が山を「モ(森)」と呼んだのではないかとい う推測は間違っていることになります。「モ」=「山」も渡来人が付けた名かも知 れません。浅学の私ではこれが限界です。