山 旅
会報 No.177
好山好山旅会
H.20.11
好山好山旅会
H.20.11
平成20年12月例会山行計画
第一例会 12月6日(土) 高尾・陣馬 石砂山~石老山 担当者 吉田(博)
第二例会 12月13日(日) 忘年山行 奥多摩 青梅丘陵 担当者 高橋 清水(ふ)
《 越後 荒沢岳・未丈ガ岳 》
平成20年10月の例会報告
平成20年10月4日(土) 天気 晴れ
参加者 八木(L)、斉藤、中村、高橋、吉田(博)(SL)、梅澤、早川、池田 計8名
-八木 記-
荒沢岳の登山口を出発したのは6時ちょっと過ぎ。登山口にトイレまで兼ね備えてあ ったのは意外だ。
7、8年前に訪ねたときは、越後駒ヶ岳は多くの登山者でお祭りの ような賑やかさだったと聞いていたが、荒沢岳では一人の登山者さえも見られなかっ た。
登山道は水源地のような沢を離れて山腹へと向かい、15分後には尾根へ。
朝の日差しがブナ林の中に通い、白く輝いている幹がすがすがしい。
ブナの葉は今が 黄みを帯び始め、この辺りでは黄葉も緒に付いたばかりのようだ。
ジクザクに登って尾根のより高い位置へと前進し、気休め程度に何げなく後ろを振り 向けば、見えるはずの奥只見湖の湖面は靄に覆われていた。
前山に着いたことは足元 の三角点の標石で知ったが、ここから下り坂になる。
5分後に登り返しを迎えて一度高みに立つと、その後は緩やかな登りがしばらく続く。
前方に荒沢岳が山容を出すと登山道は平坦になり、間もなく行く手を指針するように 前嵓(まえぐら)が荒沢岳に重なって見えてくる。
先でもう一度重なって見えると下り坂になり、また緩やかに登って重なって見えた三度目で前嵓にグッと迫って悲愴になる気持ちを叱咤し、四度目で前嵓の直下まで下っ て行く。
この先岩場危険の注意書きを見て心を雄々しくするべく時間を取ってから登 りに挑んだ。
重苦しい空気の包んでいる樹林の中をひと登りしてから20mほどもある垂直に近い岩場の取持ちに鎖が張ってあるが、足がかりは堅固なものでしめしめと 胸の内で発して三点確保の体勢で登って行く。
足 元の険相さを覗いたら恐怖心で自縄自縛に陥って身動きが取れなくなるので、振り返らずに敵愾心をひたすら待ち構える岩場に燃やし、ハシゴ、鎖、ハシゴと目先を変 えて尾根に一度飛び出す。
すぐに視線に入ったのはお先真っ暗になる前嵓の本体の姿であり、鋸歯状の岩峰を見上げてしばし呆然。
ここまでは序盤戦に過ぎなかった事をあらためて思い知るが、本番の登山道は前嵓東面の岩壁の基部に付いている。
鎖三本と長いロープ一本で下って行く登山道は底が抜 けているようでもあり、下るだけ下ってようやく長い登り返しの途に付く。
草付の岩場の登りは始めから終わりまで鎖が施され、足場をとどめるところもたくさんあって危険な岩場とは言えないが、油断大敵なのは長すぎることから生じる気の緩みだ。
尾根に立ってから5分後に前嵓の山名標のある場所に着き、後は尾根道を歩く だけになる。尾根の左右の急な傾斜には真赤に染まった潅木と笹の緑の対照が美しく、紅葉前線の真っ只中に踏み込んでいるようだった。
主稜線に出て右側に進み、岩峰を四つほど越すと荒沢岳に到着する。
山頂の景色は見事だ。四囲に取り巻く山々があまねく広がっている。
まずは通り一遍に見回し、その 後じっくり主立つ山々に視線を凝らした。
すぐに目に入って来たのは、やっぱりこの 界隈を領して双璧をなしている越後駒ヶ岳と中ノ岳だ。
しばらく釘付けになったが、見飽きることがなかった。
その後おもむろに視線をもう 少し西側に移してみれば、足下に気持ちの良い尾根が平原のように見えるはずだ。
荒沢岳で端を極めていたかのように思う尾根が、ここからもくねくねと蛇行しながら 灰の又山を介して兎岳に向かっている。
一部の笹原にはくっきりと道筋を現わし、そこに向かっているのが足元に見える薄い踏跡だ。南側では、とりとめなく范乎としている平ヶ岳の平頂を霞みがちに捉えることができ、更にその左側ではまったく両極端の山容を持つ燧ケ岳が大空に双耳峰を突 き立てていた。
視線を反対にすれば、明日登る未丈ガ岳が眺められ、眼下では今辿ってきた尾根の一部始終が一望することができる。
下山は同じ道を引き返すだけだ。
前嵓を慎重に期して突破したら、胸のつかえがおり、足の重石が取れたように足早になる。登山口に戻ったのは出発してから9時間余り経った頃である。
未丈ヶ岳
10月5日(日) 晴れ
参加者 大田、小野、斉藤、中村、高橋、八木、本多(正)、吉田(博)、梅澤、早川、 池田、武田 計12名
-大田 記-
前日の夕方に、荒沢岳に登山した先発隊と奥只見山荘で合流した4人と総勢12名で登山口まで車で移動した。
泣沢避難口を出発したのは5時15分頃だった。
辺りは まだ暗くライトを点けて出発した。暫くは下り道となる。
2か所ほど徒渉し、クサリを頼りに沢に下りまた徒渉し、クサリを頼りに登り少し進み黒又川本流に架かる手すりもない赤い鉄橋を渡ると三ツ又口に着いた。
右手から尾根にさしかかり、ひと汗かく頃、蝙蝠が羽を広げたような荒沢岳が見えていた。
この辺りで標高は600メートルくらいだった。
山道には意外に松の木が多かった。遥か先に未丈ヶ岳が見えていた。
ふと背後を見ると、越後駒ケ岳が見えていた。
松、檜、ブナの茂る尾根道をひたすら歩くと974メ ートルピークを通り過ぎ、左側を緩く下ると松の木ダオだった。
ここで少し休んだ、さらに登ると、「松の木沢の頭」、「慰霊碑」などがありこれらを 過ぎると灌木が多くなり、ネマガリタケも多くなってくる。
さらに急登1時間程度で 2等三角点の設置してある未丈ヶ岳山頂に到着した。
記念写真を撮ったあと、頂上直 下の東側斜面の草原に下りて食事休憩とした。
この斜面は花の宝庫となっているとのことだったが、この時期は広い黄金色の草原になっており、暫し、童心にかえり、草原を楽しんだ。
この辺りでは2000年に公開された映画「ホワイトアウト」(織田裕二主演)の撮影がされたとどなたかに教えていただいたが、この広い草原で雪や霧で視界が遮られると確かにホワイトアウトになるかも知れないと一人で納得してしまった。
帰りは往路を戻るのだが、車で帰宅される高橋さん、八木さんに先頭を歩いてもら い、余り変化のない道をひたすら下った。
帰りも痩せた長い尾根はそれなりに歩き甲 斐があった。
途中で振り返ってみるとなだらかな未丈ヶ岳は大きく高く、どっしりと した重厚な山容だった。 松の木ダオからどんどん下って水の音が聞こえてくるようになると、少し、ひんや りとした風が吹いてきた。
だいぶ疲れた頃に沢に下りてきた鉄橋と2か所の徒渉もそれほど難儀せずに登山口に2時10分頃に戻ってきた。
だいぶ早くに到着した、高橋さんと八木さんは車のため、そのまま帰途についたとのことであった
。着替え休憩をしていると2時半には宿のマイクロバスが我々を迎えにきて、そのまま浦佐の駅まで送ってくれた。
☆コースタイム
10月4日 荒沢岳登山口(6:05)前山(6:55)前嵓直下(7:45~7:55) 稜線に出る(8:55~9:05)前嵓(9:10)荒沢岳(10:35~11:1 0) 前嵓(12:15)前嵓直下(13:35~14:40)前山(14:40) 荒沢岳登山口(15:15)
10月5日 泣沢避難口(5:15)松の木のダオ(7:35~40)未丈ヶ岳(9:45~9: 55) 頂上直下東側斜面(10:00~30)松の木のダオ(12:10~15) 泣沢避難口(5:15)
☆費用
JR東京駅 → 浦佐駅(上越新幹線) 7,970円 JR浦佐駅 → 銀山平(南越後観光バス) 770円 奥只見山荘(1人1泊) 9,000円 奥只見山荘 → 泣沢避難口(宿の車) 1,000円(1名あたり) 泣沢避難口 → JR浦佐駅(宿の車) 1,000円 JR浦佐駅 → JR東京駅(上越新幹線) 7,970円
《 越後 越後駒ヶ岳~中ノ岳 》
平成20年10月11日(土) 天気 雨
参加者 八木(L)、中村、梅澤、川端 計4名
-八木 記-
越後駒ヶ岳も中ノ岳も個別に一度登っている山であり、山行の目的は個人的にはこの両雄の山をつなげることに尽きる。
越後駒ヶ岳は以前に枝折(しおり)峠から登っているが、今日は駒ノ小屋に行くだけであり、もう少し骨の折れる小倉尾根コースを登路に取ることにした。
小出駅からタ クシーに乗って駒ノ湯に向かい、休憩舎の軒下で身づくろいしてからなんやかんやで 登山口を発ったのが9時10分だ。
この間に登山口も確かめもせずに上の林道を行き、20分も時間を無駄にした。
登山口は駒ノ湯の敷地に入るのではなく、橋を渡る手前で左側に向かう。
入山届けを入れ るポストが設置してあり、すぐ先で道行沢に架かる吊橋を渡る。
尾根を目指すが、でばなからたいそうの急傾斜であり、尾根に乗った頃には駒ノ湯の建物を背にする。
本降りだった雨も小雨になり、登山道は樹林の中を歩くことしきり なので合羽は上着だけ羽織ることにした。
しばらく続いていた急登も小康を得て、その頃から幅の広い道に変わって周りのブナ 林も美しいところだ。
ガスって見えた高い山の陰はおそらく次に待ち構えるピークのようであり、ここは直登で越えなければならないので登山道は行き掛かり上、再び急 登を迎えることになる。
見る見るうちに標高を上げているのが実感でき、足元に笹が目に付きだしてから一段落する。
尾根幅が広がった辺りの紅葉の美しさは格別のものであるが、雨の中ではそこそこに見てひたむきに歩くことになる。
急登をぶりかえして尾根の片側が開けてくるようになれば、間もなく短い鎖場に差し掛かる。小倉山に近づいていることはガイドブックにも記している通りであるが、しかし、この間が思った以上に長く感じられた。
小倉山に着いたのは13時だったが、止んでいた雨がまた強く降るようになった。
山頂から少し行ったところで枝折峠からの登山道に合わさるが、これまでの登山道と状況が一変してくるのは雨の中でも登山者がたくさん歩いていたことだ。
下山して来 る人に聞くと、駒ノ小屋は団体の宿泊者で大賑わい、との事。
小屋の中で遠慮なしに 雨具を目いっぱいに広げて乾かし、ザックの中の何から何までも全部取り出して、も う一度きちんと、おおっぴらに整理し直すことを無理のようである。
この先は一度歩いているが、難儀なのは登山道の状態であり、降りしきる雨で川のよ うになっている。
場所によっては泥濘化していて足の置き場がなく、笹や潅木の幹を 掴んで登山道の縁をバランス取りながら歩くことになる。
長く続けば疲れる所作であり、その事ばかりに神経を使い、やりきれない気持ちで登って行くと前駒のピークに着く。
ここから駒ノ小屋まで岩場を登って行く。
緩い斜面 の岩場であり、難しいところは特にないようだ。
肩ノ小屋では寝る場所に銀マットが敷いてあり、毛布も貸してくれるとのこと。
ただ し協力金として2000円を支払い、また気が付いたことは、この小屋では管理人が表に出てあれやこれやと指図することはなく、泊まる人が自分で寝る場所を確保し、混みあえばお互いにスペースを譲ったりしていたことだ。
平成20年10月12日(日) 天気 曇り後晴れ
小窓の引き戸を開けると冷たい空気が肌を刺しすり寄って外を覗きこむと一本の潅木が真っ白になって霧氷のようだ。
一日中降り続いていた雨が夜半からの気温の低下によってもたらされたものである。
外はガスがおびただしく流れ、風も吹きつのっているようだ。夜が明けてもすぐに小 屋を出る気持ちにならず、手持ち無沙汰になりながらぐずぐずして結局小屋を出発したのが6時10分である。
緩やかな登りで中ノ岳に向かう分岐に着き、越後駒ヶ岳は右側に10分もあれば行って帰ってこられる。
晴れていれば越後の山々、会津の山々、果ては北アルプスまで展望が広がって申し分ないのだが、そのことは中ノ岳に期して、山頂には5分ほど留まって切り上げた。
分岐から始まる中ノ岳の登山道はクマザサが刈り払われ、しばらくは下って行く気配である。
10分後にクシガハナに向かうコースを右側に分けるが、その先の登り返しはたかが知れたもので、下り坂の大勢に変わりない。
諏訪平の標識を見てから更に登山道は一 段と急下降になり、それにともなって左側は深い谷になっていく。
右側も険しくなる頃には急坂はその度合いをつのり、下り切って平地に出れば間もな く天狗平という場所に着く。
この場所が最低鞍部とのことだが、ここまでの急坂だっ たとは遠くから分からないもので、先週の荒沢岳からの眺めは緩やかな連なりにしか見えなかった。
この頃には天気に変化がきざし、ガスの中に宿していた日が薄い部分から光がもれるようになり、潅木の薄い影を地上に落としていた。
変化は矢継ぎ早で、ガスが瞬間的に晴れてはその合間に山肌を露わにすることを繰り返し、ほんのひとときから、たちどころに紅葉が広がるままになった。
ガスは完全に晴れ、青い空も視界いっぱいに飛び込んできた。
こうなれば浮き足立って歩く事は避けられず、息の長い登り返しも当面は苦にならないところだ。
高みに立つ頃には遠くの山々も眺められるようになり、荒沢岳の尖峰もはっきり大空に映し出されるようになった。
次の高みは岩肌を左側に巻いて通り過ぎ、その先から小さなピークを幾つか越して歩 く。
黒木やシャクナゲが目に付く頃から檜廊下の始まりなのであろうか。
尾根上の黒木を避けて右斜面を導いていた登山道は、今度は這い登るような姿勢で再び尾根に上がり、背後の尾根に没していた越後駒ヶ岳がせり出して見えてくるようになる。
越後駒ヶ岳からの綿々とした尾根に洗ったような日の光がそそぐと紅葉は鮮や かさをしたたらせ、広がっているのはまぎれもなく秋の景色だった。
黒木が目に付かなくなって久しくなったが、これから登って行く二つほどの高みは、中ノ岳と同体で前線に一翼を担っているようなコブに相当する。
太陽は中天に差し掛 かってきたが、この時間になっても中ノ岳の西側斜面は霧氷で一面を真っ白にし、対 照的に東側斜面は秋の日がまぶしいほどに照って赤く紅葉した潅木を浮かび上がらせていた。
ここまで歩きがてらに中ノ岳から八海山への橋渡しになっている険しい細 尾根に視線が止まりがちになり、その行く手を暗示している最初の突破口が中ノ岳の 山腹から突き出している御月山だ。
中ノ岳直下から予想していたとおりの急な登りになり、八海山の分岐を越して間もなくで避難小屋に着く。
今日は小屋閉めの日に当たっていたのか、関係者が小屋の周りで忙しく動いていた。
ここからほんの少し足を運んで標識の立っている中ノ岳に着いたが、昼食を取ってい る間に小屋の関係者も含めて5、6人の人に出会っただけの静かな山頂だ。
駒ノ小屋に泊まったあれだけの数のハイカーの中に中ノ岳まで縦走するのは他に見当たらず、 逆コースで中ノ岳から越後駒ヶ岳に向かっていく4、5名の若者のパーティ1組に会 っただけである。
十字峡から登って来たハイカーは中ノ岳まで5時間かかったと言い、早い人は4時間で登ることができるとも言う。
中ノ岳を辞する時にすれ違いになった1人のハイカーは6時間かかったとあえぎな がら話をし、今日は避難小屋に泊まって、さっそく今から酒を飲むつもりだと言って いた。
コースタイムがハイカーによって大きく異なるのは、それだけ急登であることを物語っているようだ。
十字峡に下って行く分岐の池ノ段には山頂から20分後に着 く。
ここで尾根伝いに行く丹後山の登山道を左側に見送って広い斜面を下る。
笹原の中、潅木の中、と急な下り坂が続いて7合目の石標の立っている目印に気づいたが、 9合目、8合目は通り過ぎてしまったようだ。
登り返しを登り切って6合目の石標を見ることができ、その後緩やかな登り下りを経て一つ目の池塘は右側の縁を歩く。
二 つ目、三つ目の池塘を見て通り越し、ほどなく雨量計のある小屋の下に着く。
この場 所には日向山の標識が立ち、五合目の石標も埋まっている。
急坂は止めどもなくこの後も続き、周囲は潅木からブナ林に変わっていく。四合目の石標を見て5分後には 木々越しに十字峡の目安になるしゃくなげ湖を覗くことができ、ブナ林を抜けるとし ゃくなげ湖をはっきり捉えることができた。
三合目で休憩を挟み、またブナ林の中に入って行くとやがてエアリアマップに記す千本松原に着き、ここでコースタイムと照 らし合わせることができた。
二合目から道々に段差を挟んでペースが乱れ、一合目を 過ぎると周囲の雑木林の葉は緑の色を濃くして秋の装いはこれからのようである。
西空で落日を急いでいる太陽を気にしながら休み無く歩き、やがて足下に降り立つ車道 を覗いたら濃い闇に包まれていた。
☆ コースタイム
10月11日 小倉尾根登山口 9:10 小倉山 13:00 百草の池 13:50~13:55 前駒 14:45 駒ノ小屋 15:20
10月12日 駒ノ小屋 6:10 中ノ岳分岐 6:25 越後駒ヶ岳 6:30~6:35 中ノ岳分岐 6:40 諏訪平 7:00 天狗平 7:35~7:40 中ノ岳 11:45~12:10 池ノ段 12:30 7合目 13:25 日向山 14:20~14:25千本松原 16:00 十字峡 17:25
☆ 費用
・ タクシー代 浦佐駅~駒ノ湯 一台 5、610円 十字峡~六日町駅 一台 6、430円
・ 宿泊費 2、000円
役員会開催のお知らせ
平成20 年度第2 回の役員会を下記要領で開催いたします。
ご多忙中と存じますが 役員の皆様は万障お繰り合わせの上ご出席お願いいたします。
なお、役員会終了後、場所を替えて食事会を行いますので、一般会員の方も奮っての参加お待ちします。
希望者は12 月13 日までに高柳まで。役員会への参加も歓迎で す。
日時 平成20 年12 月20 日(土)午後1 時~午後5 時迄
場所 豊島区勤労福祉会館 第2 会議室(4 階)03-3980-3131
議題
1. 来年度からの新任リーダの検討
2. 平成20 年5 月以降の山行計画立案
■各自計画したい山を提案の事
3. その他
※ お知らせ
1)【上州 荒船山】は参加者僅少のために中止になりました。
2) 受贈会報「木鶏」2008年11月号
第一例会 12月6日(土) 高尾・陣馬 石砂山~石老山 担当者 吉田(博)
第二例会 12月13日(日) 忘年山行 奥多摩 青梅丘陵 担当者 高橋 清水(ふ)
《 越後 荒沢岳・未丈ガ岳 》
平成20年10月の例会報告
平成20年10月4日(土) 天気 晴れ
参加者 八木(L)、斉藤、中村、高橋、吉田(博)(SL)、梅澤、早川、池田 計8名
-八木 記-
荒沢岳の登山口を出発したのは6時ちょっと過ぎ。登山口にトイレまで兼ね備えてあ ったのは意外だ。
7、8年前に訪ねたときは、越後駒ヶ岳は多くの登山者でお祭りの ような賑やかさだったと聞いていたが、荒沢岳では一人の登山者さえも見られなかっ た。
登山道は水源地のような沢を離れて山腹へと向かい、15分後には尾根へ。
朝の日差しがブナ林の中に通い、白く輝いている幹がすがすがしい。
ブナの葉は今が 黄みを帯び始め、この辺りでは黄葉も緒に付いたばかりのようだ。
ジクザクに登って尾根のより高い位置へと前進し、気休め程度に何げなく後ろを振り 向けば、見えるはずの奥只見湖の湖面は靄に覆われていた。
前山に着いたことは足元 の三角点の標石で知ったが、ここから下り坂になる。
5分後に登り返しを迎えて一度高みに立つと、その後は緩やかな登りがしばらく続く。
前方に荒沢岳が山容を出すと登山道は平坦になり、間もなく行く手を指針するように 前嵓(まえぐら)が荒沢岳に重なって見えてくる。
先でもう一度重なって見えると下り坂になり、また緩やかに登って重なって見えた三度目で前嵓にグッと迫って悲愴になる気持ちを叱咤し、四度目で前嵓の直下まで下っ て行く。
この先岩場危険の注意書きを見て心を雄々しくするべく時間を取ってから登 りに挑んだ。
重苦しい空気の包んでいる樹林の中をひと登りしてから20mほどもある垂直に近い岩場の取持ちに鎖が張ってあるが、足がかりは堅固なものでしめしめと 胸の内で発して三点確保の体勢で登って行く。
足 元の険相さを覗いたら恐怖心で自縄自縛に陥って身動きが取れなくなるので、振り返らずに敵愾心をひたすら待ち構える岩場に燃やし、ハシゴ、鎖、ハシゴと目先を変 えて尾根に一度飛び出す。
すぐに視線に入ったのはお先真っ暗になる前嵓の本体の姿であり、鋸歯状の岩峰を見上げてしばし呆然。
ここまでは序盤戦に過ぎなかった事をあらためて思い知るが、本番の登山道は前嵓東面の岩壁の基部に付いている。
鎖三本と長いロープ一本で下って行く登山道は底が抜 けているようでもあり、下るだけ下ってようやく長い登り返しの途に付く。
草付の岩場の登りは始めから終わりまで鎖が施され、足場をとどめるところもたくさんあって危険な岩場とは言えないが、油断大敵なのは長すぎることから生じる気の緩みだ。
尾根に立ってから5分後に前嵓の山名標のある場所に着き、後は尾根道を歩く だけになる。尾根の左右の急な傾斜には真赤に染まった潅木と笹の緑の対照が美しく、紅葉前線の真っ只中に踏み込んでいるようだった。
主稜線に出て右側に進み、岩峰を四つほど越すと荒沢岳に到着する。
山頂の景色は見事だ。四囲に取り巻く山々があまねく広がっている。
まずは通り一遍に見回し、その 後じっくり主立つ山々に視線を凝らした。
すぐに目に入って来たのは、やっぱりこの 界隈を領して双璧をなしている越後駒ヶ岳と中ノ岳だ。
しばらく釘付けになったが、見飽きることがなかった。
その後おもむろに視線をもう 少し西側に移してみれば、足下に気持ちの良い尾根が平原のように見えるはずだ。
荒沢岳で端を極めていたかのように思う尾根が、ここからもくねくねと蛇行しながら 灰の又山を介して兎岳に向かっている。
一部の笹原にはくっきりと道筋を現わし、そこに向かっているのが足元に見える薄い踏跡だ。南側では、とりとめなく范乎としている平ヶ岳の平頂を霞みがちに捉えることができ、更にその左側ではまったく両極端の山容を持つ燧ケ岳が大空に双耳峰を突 き立てていた。
視線を反対にすれば、明日登る未丈ガ岳が眺められ、眼下では今辿ってきた尾根の一部始終が一望することができる。
下山は同じ道を引き返すだけだ。
前嵓を慎重に期して突破したら、胸のつかえがおり、足の重石が取れたように足早になる。登山口に戻ったのは出発してから9時間余り経った頃である。
未丈ヶ岳
10月5日(日) 晴れ
参加者 大田、小野、斉藤、中村、高橋、八木、本多(正)、吉田(博)、梅澤、早川、 池田、武田 計12名
-大田 記-
前日の夕方に、荒沢岳に登山した先発隊と奥只見山荘で合流した4人と総勢12名で登山口まで車で移動した。
泣沢避難口を出発したのは5時15分頃だった。
辺りは まだ暗くライトを点けて出発した。暫くは下り道となる。
2か所ほど徒渉し、クサリを頼りに沢に下りまた徒渉し、クサリを頼りに登り少し進み黒又川本流に架かる手すりもない赤い鉄橋を渡ると三ツ又口に着いた。
右手から尾根にさしかかり、ひと汗かく頃、蝙蝠が羽を広げたような荒沢岳が見えていた。
この辺りで標高は600メートルくらいだった。
山道には意外に松の木が多かった。遥か先に未丈ヶ岳が見えていた。
ふと背後を見ると、越後駒ケ岳が見えていた。
松、檜、ブナの茂る尾根道をひたすら歩くと974メ ートルピークを通り過ぎ、左側を緩く下ると松の木ダオだった。
ここで少し休んだ、さらに登ると、「松の木沢の頭」、「慰霊碑」などがありこれらを 過ぎると灌木が多くなり、ネマガリタケも多くなってくる。
さらに急登1時間程度で 2等三角点の設置してある未丈ヶ岳山頂に到着した。
記念写真を撮ったあと、頂上直 下の東側斜面の草原に下りて食事休憩とした。
この斜面は花の宝庫となっているとのことだったが、この時期は広い黄金色の草原になっており、暫し、童心にかえり、草原を楽しんだ。
この辺りでは2000年に公開された映画「ホワイトアウト」(織田裕二主演)の撮影がされたとどなたかに教えていただいたが、この広い草原で雪や霧で視界が遮られると確かにホワイトアウトになるかも知れないと一人で納得してしまった。
帰りは往路を戻るのだが、車で帰宅される高橋さん、八木さんに先頭を歩いてもら い、余り変化のない道をひたすら下った。
帰りも痩せた長い尾根はそれなりに歩き甲 斐があった。
途中で振り返ってみるとなだらかな未丈ヶ岳は大きく高く、どっしりと した重厚な山容だった。 松の木ダオからどんどん下って水の音が聞こえてくるようになると、少し、ひんや りとした風が吹いてきた。
だいぶ疲れた頃に沢に下りてきた鉄橋と2か所の徒渉もそれほど難儀せずに登山口に2時10分頃に戻ってきた。
だいぶ早くに到着した、高橋さんと八木さんは車のため、そのまま帰途についたとのことであった
。着替え休憩をしていると2時半には宿のマイクロバスが我々を迎えにきて、そのまま浦佐の駅まで送ってくれた。
☆コースタイム
10月4日 荒沢岳登山口(6:05)前山(6:55)前嵓直下(7:45~7:55) 稜線に出る(8:55~9:05)前嵓(9:10)荒沢岳(10:35~11:1 0) 前嵓(12:15)前嵓直下(13:35~14:40)前山(14:40) 荒沢岳登山口(15:15)
10月5日 泣沢避難口(5:15)松の木のダオ(7:35~40)未丈ヶ岳(9:45~9: 55) 頂上直下東側斜面(10:00~30)松の木のダオ(12:10~15) 泣沢避難口(5:15)
☆費用
JR東京駅 → 浦佐駅(上越新幹線) 7,970円 JR浦佐駅 → 銀山平(南越後観光バス) 770円 奥只見山荘(1人1泊) 9,000円 奥只見山荘 → 泣沢避難口(宿の車) 1,000円(1名あたり) 泣沢避難口 → JR浦佐駅(宿の車) 1,000円 JR浦佐駅 → JR東京駅(上越新幹線) 7,970円
《 越後 越後駒ヶ岳~中ノ岳 》
平成20年10月11日(土) 天気 雨
参加者 八木(L)、中村、梅澤、川端 計4名
-八木 記-
越後駒ヶ岳も中ノ岳も個別に一度登っている山であり、山行の目的は個人的にはこの両雄の山をつなげることに尽きる。
越後駒ヶ岳は以前に枝折(しおり)峠から登っているが、今日は駒ノ小屋に行くだけであり、もう少し骨の折れる小倉尾根コースを登路に取ることにした。
小出駅からタ クシーに乗って駒ノ湯に向かい、休憩舎の軒下で身づくろいしてからなんやかんやで 登山口を発ったのが9時10分だ。
この間に登山口も確かめもせずに上の林道を行き、20分も時間を無駄にした。
登山口は駒ノ湯の敷地に入るのではなく、橋を渡る手前で左側に向かう。
入山届けを入れ るポストが設置してあり、すぐ先で道行沢に架かる吊橋を渡る。
尾根を目指すが、でばなからたいそうの急傾斜であり、尾根に乗った頃には駒ノ湯の建物を背にする。
本降りだった雨も小雨になり、登山道は樹林の中を歩くことしきり なので合羽は上着だけ羽織ることにした。
しばらく続いていた急登も小康を得て、その頃から幅の広い道に変わって周りのブナ 林も美しいところだ。
ガスって見えた高い山の陰はおそらく次に待ち構えるピークのようであり、ここは直登で越えなければならないので登山道は行き掛かり上、再び急 登を迎えることになる。
見る見るうちに標高を上げているのが実感でき、足元に笹が目に付きだしてから一段落する。
尾根幅が広がった辺りの紅葉の美しさは格別のものであるが、雨の中ではそこそこに見てひたむきに歩くことになる。
急登をぶりかえして尾根の片側が開けてくるようになれば、間もなく短い鎖場に差し掛かる。小倉山に近づいていることはガイドブックにも記している通りであるが、しかし、この間が思った以上に長く感じられた。
小倉山に着いたのは13時だったが、止んでいた雨がまた強く降るようになった。
山頂から少し行ったところで枝折峠からの登山道に合わさるが、これまでの登山道と状況が一変してくるのは雨の中でも登山者がたくさん歩いていたことだ。
下山して来 る人に聞くと、駒ノ小屋は団体の宿泊者で大賑わい、との事。
小屋の中で遠慮なしに 雨具を目いっぱいに広げて乾かし、ザックの中の何から何までも全部取り出して、も う一度きちんと、おおっぴらに整理し直すことを無理のようである。
この先は一度歩いているが、難儀なのは登山道の状態であり、降りしきる雨で川のよ うになっている。
場所によっては泥濘化していて足の置き場がなく、笹や潅木の幹を 掴んで登山道の縁をバランス取りながら歩くことになる。
長く続けば疲れる所作であり、その事ばかりに神経を使い、やりきれない気持ちで登って行くと前駒のピークに着く。
ここから駒ノ小屋まで岩場を登って行く。
緩い斜面 の岩場であり、難しいところは特にないようだ。
肩ノ小屋では寝る場所に銀マットが敷いてあり、毛布も貸してくれるとのこと。
ただ し協力金として2000円を支払い、また気が付いたことは、この小屋では管理人が表に出てあれやこれやと指図することはなく、泊まる人が自分で寝る場所を確保し、混みあえばお互いにスペースを譲ったりしていたことだ。
平成20年10月12日(日) 天気 曇り後晴れ
小窓の引き戸を開けると冷たい空気が肌を刺しすり寄って外を覗きこむと一本の潅木が真っ白になって霧氷のようだ。
一日中降り続いていた雨が夜半からの気温の低下によってもたらされたものである。
外はガスがおびただしく流れ、風も吹きつのっているようだ。夜が明けてもすぐに小 屋を出る気持ちにならず、手持ち無沙汰になりながらぐずぐずして結局小屋を出発したのが6時10分である。
緩やかな登りで中ノ岳に向かう分岐に着き、越後駒ヶ岳は右側に10分もあれば行って帰ってこられる。
晴れていれば越後の山々、会津の山々、果ては北アルプスまで展望が広がって申し分ないのだが、そのことは中ノ岳に期して、山頂には5分ほど留まって切り上げた。
分岐から始まる中ノ岳の登山道はクマザサが刈り払われ、しばらくは下って行く気配である。
10分後にクシガハナに向かうコースを右側に分けるが、その先の登り返しはたかが知れたもので、下り坂の大勢に変わりない。
諏訪平の標識を見てから更に登山道は一 段と急下降になり、それにともなって左側は深い谷になっていく。
右側も険しくなる頃には急坂はその度合いをつのり、下り切って平地に出れば間もな く天狗平という場所に着く。
この場所が最低鞍部とのことだが、ここまでの急坂だっ たとは遠くから分からないもので、先週の荒沢岳からの眺めは緩やかな連なりにしか見えなかった。
この頃には天気に変化がきざし、ガスの中に宿していた日が薄い部分から光がもれるようになり、潅木の薄い影を地上に落としていた。
変化は矢継ぎ早で、ガスが瞬間的に晴れてはその合間に山肌を露わにすることを繰り返し、ほんのひとときから、たちどころに紅葉が広がるままになった。
ガスは完全に晴れ、青い空も視界いっぱいに飛び込んできた。
こうなれば浮き足立って歩く事は避けられず、息の長い登り返しも当面は苦にならないところだ。
高みに立つ頃には遠くの山々も眺められるようになり、荒沢岳の尖峰もはっきり大空に映し出されるようになった。
次の高みは岩肌を左側に巻いて通り過ぎ、その先から小さなピークを幾つか越して歩 く。
黒木やシャクナゲが目に付く頃から檜廊下の始まりなのであろうか。
尾根上の黒木を避けて右斜面を導いていた登山道は、今度は這い登るような姿勢で再び尾根に上がり、背後の尾根に没していた越後駒ヶ岳がせり出して見えてくるようになる。
越後駒ヶ岳からの綿々とした尾根に洗ったような日の光がそそぐと紅葉は鮮や かさをしたたらせ、広がっているのはまぎれもなく秋の景色だった。
黒木が目に付かなくなって久しくなったが、これから登って行く二つほどの高みは、中ノ岳と同体で前線に一翼を担っているようなコブに相当する。
太陽は中天に差し掛 かってきたが、この時間になっても中ノ岳の西側斜面は霧氷で一面を真っ白にし、対 照的に東側斜面は秋の日がまぶしいほどに照って赤く紅葉した潅木を浮かび上がらせていた。
ここまで歩きがてらに中ノ岳から八海山への橋渡しになっている険しい細 尾根に視線が止まりがちになり、その行く手を暗示している最初の突破口が中ノ岳の 山腹から突き出している御月山だ。
中ノ岳直下から予想していたとおりの急な登りになり、八海山の分岐を越して間もなくで避難小屋に着く。
今日は小屋閉めの日に当たっていたのか、関係者が小屋の周りで忙しく動いていた。
ここからほんの少し足を運んで標識の立っている中ノ岳に着いたが、昼食を取ってい る間に小屋の関係者も含めて5、6人の人に出会っただけの静かな山頂だ。
駒ノ小屋に泊まったあれだけの数のハイカーの中に中ノ岳まで縦走するのは他に見当たらず、 逆コースで中ノ岳から越後駒ヶ岳に向かっていく4、5名の若者のパーティ1組に会 っただけである。
十字峡から登って来たハイカーは中ノ岳まで5時間かかったと言い、早い人は4時間で登ることができるとも言う。
中ノ岳を辞する時にすれ違いになった1人のハイカーは6時間かかったとあえぎな がら話をし、今日は避難小屋に泊まって、さっそく今から酒を飲むつもりだと言って いた。
コースタイムがハイカーによって大きく異なるのは、それだけ急登であることを物語っているようだ。
十字峡に下って行く分岐の池ノ段には山頂から20分後に着 く。
ここで尾根伝いに行く丹後山の登山道を左側に見送って広い斜面を下る。
笹原の中、潅木の中、と急な下り坂が続いて7合目の石標の立っている目印に気づいたが、 9合目、8合目は通り過ぎてしまったようだ。
登り返しを登り切って6合目の石標を見ることができ、その後緩やかな登り下りを経て一つ目の池塘は右側の縁を歩く。
二 つ目、三つ目の池塘を見て通り越し、ほどなく雨量計のある小屋の下に着く。
この場 所には日向山の標識が立ち、五合目の石標も埋まっている。
急坂は止めどもなくこの後も続き、周囲は潅木からブナ林に変わっていく。四合目の石標を見て5分後には 木々越しに十字峡の目安になるしゃくなげ湖を覗くことができ、ブナ林を抜けるとし ゃくなげ湖をはっきり捉えることができた。
三合目で休憩を挟み、またブナ林の中に入って行くとやがてエアリアマップに記す千本松原に着き、ここでコースタイムと照 らし合わせることができた。
二合目から道々に段差を挟んでペースが乱れ、一合目を 過ぎると周囲の雑木林の葉は緑の色を濃くして秋の装いはこれからのようである。
西空で落日を急いでいる太陽を気にしながら休み無く歩き、やがて足下に降り立つ車道 を覗いたら濃い闇に包まれていた。
☆ コースタイム
10月11日 小倉尾根登山口 9:10 小倉山 13:00 百草の池 13:50~13:55 前駒 14:45 駒ノ小屋 15:20
10月12日 駒ノ小屋 6:10 中ノ岳分岐 6:25 越後駒ヶ岳 6:30~6:35 中ノ岳分岐 6:40 諏訪平 7:00 天狗平 7:35~7:40 中ノ岳 11:45~12:10 池ノ段 12:30 7合目 13:25 日向山 14:20~14:25千本松原 16:00 十字峡 17:25
☆ 費用
・ タクシー代 浦佐駅~駒ノ湯 一台 5、610円 十字峡~六日町駅 一台 6、430円
・ 宿泊費 2、000円
役員会開催のお知らせ
平成20 年度第2 回の役員会を下記要領で開催いたします。
ご多忙中と存じますが 役員の皆様は万障お繰り合わせの上ご出席お願いいたします。
なお、役員会終了後、場所を替えて食事会を行いますので、一般会員の方も奮っての参加お待ちします。
希望者は12 月13 日までに高柳まで。役員会への参加も歓迎で す。
日時 平成20 年12 月20 日(土)午後1 時~午後5 時迄
場所 豊島区勤労福祉会館 第2 会議室(4 階)03-3980-3131
議題
1. 来年度からの新任リーダの検討
2. 平成20 年5 月以降の山行計画立案
■各自計画したい山を提案の事
3. その他
※ お知らせ
1)【上州 荒船山】は参加者僅少のために中止になりました。
2) 受贈会報「木鶏」2008年11月号